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令和6年能登半島地震支援募金

富山大学医学部卒業生有志×ごちゃまるクリニック
はじめに

令和6年能登半島地震で被災された皆さまならびにご家族の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

プロジェクト概要

私たちの同期の小浦(仲元)詩医師(2007年卒)と、小浦友行医師(2005年卒)は、大学や関連施設等で経験を積み、2018年に友行氏の故郷である輪島に戻り、総合診療医、小児科医、学校医として勤務していました。様々な想いと課題感から2021年にごちゃまるクリニック、2022年に10代の子どもたちに向けてわじまティーンラボ(NPO法人じっくらあと)を設立し、運営しています。

その後、移転やリニューアルを経て充実した日々を送っていたさなか、今回の地震は起こりました。小浦医師らは、自身や家族も被災し生活もままならない中で、地域のために懸命の活動を続けています。

発災から数週間が経ち、被災地では生活再建や地域医療への支援がより重要なフェーズとなってきています。

多くの人が住み馴れた地域とつながりの中で、安心して暮らしていきたいと考えます。そのためには、いつでも必要な時に医療や支援が受けられること、自分や家族に寄り添ってくれる人たちがいることがとても大切です。ごちゃまるクリニックは、今後もその中心的な役割を担い、地域を支えていくことでしょう。

今私たちができることは多くありませんが、少しでも小浦医師らや輪島の人々の力になりたいと考え、このクラウドファンディングを立ちあげることにしました。そんな想いと支援の輪が波紋のようにひろがって、いつか大きな力になることを信じています。皆さまのご支援を心よりお願い申し上げます。

 

輪島の人々に、一日でも早く笑顔がもどり、希望や夢を持てる日がくることを願って。


2024年2月  
         

プロジェクト代表      
国立病院機構神戸医療センター 長嶋(鍋島)千尋(2007年卒)
女性クリニックWe!TOYAMA   鮫島 梓(2007年卒)

ごちゃまるクリニックについて

ごちゃまるクリニックは、過疎化がすすむ奥能登で、赤ちゃんから高齢者、障害者まですべての人とその家族に「ごちゃまぜ」に向き合い、病気だけではなく、人生、歴史、風土も「まるごと」に支援する新しい形の地域支援型診療所を目指して2021年6月に開業しました。2022年12月には新たな体制、新たな場所でリニューアルオープンしました。

医療だけでなく、介護、福祉、学校、行政など多職種・多事業と連携・協働することでよい相互作用が生まれます(=ごちゃまぜ)。そして地域の人が、"その人らしく、元気でしあわせに暮らせる”ことを応援します。

施設名:ごちゃまるクリニック                              
所在地:石川県輪島市河井町23-1-150(1Fごちゃまるクリニック、2/3Fわじまティーンラボ)                                                          

 

ご挨拶

みなさまはじめまして。ごちゃまるクリニック院長の小浦友行と申します。

 

私の生まれ故郷は輪島市本町通り(朝市通り)、今回の地震で大火に見舞われた町です。朝市と商店街が遊び場、夏の輪島大祭では近所のみんなでキリコを担ぎ、たくさんのみなさんに見守られて育ちました。この町が大好きで、いつか恩返しがしたい、その思いで医師を目指しました。

富山医科薬科大学(現富山大学)に入学し、小学校時代から続けていた剣道部に所属し、今もかけがえのない存在となっている友人・先輩・後輩達と大切な日々を過ごしました。「こんなお医者さんが地元にいればいいな」という想いから、卒業後は母校の総合診療部に所属、生涯最大の恩師と出会い、災害救命センターでの勤務を経て現在の医師としての礎が築かれました。

2017年、万感の想いを胸に故郷輪島にUターン、当時は地元公立病院に勤務し、自分が本当になすべきことは何なのか、思い悩んだ末2022年12月、生涯の相棒である小浦詩先生と「ごちゃまるクリニック」の開設に至りました。

地域をおもしろく、そして豊かに、同じ志をもつ仲間達とともに、奥能登全土を駆け巡り、在宅ケア、よろず外来ケア、お花見会や七夕会などの地域ケア活動を行ってまいりました。あの頃夢見た地域への恩返し、スタート1年足らずではありましたが、確かな手応えを感じていました。

 

2024年1月1日午後4時10分、発災。

 

命辛々家を出た瞬間、目を疑いました。愛する町は壊滅状態。よく知るご近所さんの家は大破。助けるまもなく津波警報が鳴り響き、死に物狂いで母校の小学校に避難。家族の安全を確保して徒歩圏内の避難所を駆け回り、被災者の応急処置を行いました。そんな中、故郷の町に火の手が上がりました。生涯で一番辛い夜。燃え盛る炎をただ眺めるしかありませんでした。

その後私はクリニックの診療業務と並行し「輪島市保健医療福祉調整本部」という災害支援本部に所属し、外部支援のみなさまと地域の支援者、そして地域住民との橋渡し役を務めています(2024年1月25日現在)。故郷を支える医者になりたい、私は今日のこの日のために、医師となり、故郷に戻ったのかもしません。

 

発災から三週間後、あくせく走り回っている私に避難所のおばさまが「先生ちゃんと休めてる?」とお声がけくださいました。「ありがとうございます」と答える私に「私ずっと先生をみてましたからね。1月1日からずっと、走りまわっていた。私知ってるんですよ。あなたは高校生の時からそうでした。ずっと、みていたんです。」

私は地域を見守っているつもりでした。でもそれと同時に、地域のみなさまにずっと見守られていたのです。感謝と、幸せにあふれるお言葉でした。

 

みなさま、私はもう一踏ん張りがんばりたいです。苦しいけど、諦めたくない。私たちの夢は地域の皆さんの夢。思いやりあふれる奥能登の日々を、再び取り戻したいのです。ごちゃまるクリニックは、これまで私達に携わってくださった全てのみなさまの賜物です。若く未熟なクリニックではありますが、その分情熱に満ちていると確信しています。みなさんのご支援何卒よろしくお願い申し上げます。
                                                
小浦友行




富山大学2007年卒業の小浦(仲元)詩です。

輪島市に転居してもうすぐ7年を迎えようとしています。

子供3人、両親、祖母と4世代8人で小浦洋服店(本町・朝市通り)の跡地に居を構えて7年。

 

朝市の準備をするおばちゃんたちに挨拶をしながらの子供達の登校

本町に住む地域猫と路地裏で遊ぶ日々

年に一度の輪島大祭ではキリコを担ぎ、町内での笛と太鼓の練習

料理好きな次男は馴染みの朝市で一人でタコを買ってくる日もありました

 

この地域の暮らしは、心地よい公私混同により、“専門職としての自分”と“生活者としての自分”がぴったり一致する、なんとも言えない居心地の良さがあります。

そんな心地よい公私混同をエネルギーに、私は“子ども・子育て”を軸に、夫は“多世代”を軸に、それぞれの試みが一緒になって動き出したのが、ごちゃまるクリニック+わじまティーンラボです。

 

私自身はごちゃまるクリニックや輪島病院の小児科外来で医師として勤務する傍ら、NPO法人じっくらあとを立ち上げ、10代の子どもたちの居場所“わじまティーンラボ”の運営やイベントを行ったり、子どもたちの相談窓口事業や学校でのライフスキル授業などを行政や学校と協力しながら進めていました。小さな地域だからこそみんなで子どもたちを応援できる仕組みづくりができる!・“縮充”を目指して動き出せる!そんな期待に満ちたここ最近でした。

2022年12月にごちゃまるクリニックが現建物の1階に移転オープンしようやく軌道に乗り始め、2023年12月に2・3階のわじまティーンラボの改築グランドオープンを無事終えた!

そんなタイミングでの令和6年能登半島地震でした。

 

これからみんなで楽しいことができる!という希望が一瞬で絶望に変わってしまった被災直後。

今の気持ちは少し違います。

一緒に前を向く仲間がいること

応援したい地域の皆さんがいること

一緒にまた立ち上がっていきたい場所があること

そんな温かい繋がりを築くことができたこの7年に感謝して、またこの場所でなんとか前へ進みたいと思っています。

 

これから私たちがやるべきことは決して特別なことではなく、今までやってきたこと・やろうとしてきたことをまた一から少しずつ取り組んでいきたいと考えています。

決して悲劇的ではなく、楽しくユーモアを大切に、頑張っていきます!

こんな私たちを応援してくださる皆様への感謝を込めて!

 

小浦詩




NPO法人じっくらあと 事務局長の小浦明生と申します。

 

僕は輪島市本町商店街で紳士服小売店を営む家の次男坊として生まれ育ちました。

高校を卒業し実家の家業を継ぐ修行として京都経済短大で学び、(株)ワールドが企画するTAKEO KIKUCHIに就職し服飾販売に従事ました。しかし、当初の目的であった家業は厳しい経営状況から事業をたたむこと選択し、輪島に帰ることも断念。大好きな故郷で暮らすこと、両親に親孝行をすること、地域に役立つ人間になること。そんなことをずっと目標にしてきた自分にとって、断念したことは大きな心のしこりとして残っていました。

 そんな想いを持ちつつ40歳が目前に迫った時期、詩さんが構想する「10代の居場所プロジェクト」の話を聞きました。構想を通して故郷の子どもを取り巻く環境を知り、「これが残りの人生をかけて取り組みたいことだ」という想いに至り22年7月に故郷に帰ってまいりました。

それから、全てが手探りで暗中模索の毎日。それでも少しずつ施設を利用するティーンが増え、応援してくれる仲間にも繋がり始めました。そしてやりたいことを実現する拠点として、たくさんの期待を込めて施設の大規模改装を実施し12月24日にグランドオープンを大々的に迎えました。「さあこれからたくさんやりたいことを実現するぞ〜!」っと意気込んでいた矢先の震災。

変わり果てた故郷を目の当たりにし本当に言葉にできない、まるで心が現実を拒否しているような感覚でした。時間の経過とともにわじまティーンラボの利用者たちも2次避難で散り散りになり始め、安全な場所に避難できたことを喜びつつも「またみんなで集まれる日が来るのだろうか」という不安と寂しさを感じました。

 

それでも、僕には夢があります。

とある高校生が言ってくれた「おれらの成人式はわじまティーンラボでやったらいいんじゃね!」。これを実現することです。

ティーンのたわいもない些細な会話から出てくるちょっとした期待から、将来につながる大きな希望まで。

 

ラボで演奏会やりたい。みんなでバレーやりたい。簿記1級に合格したい。

輪島を盛り上げたい。ドラム演奏したい。友達と思いっきりおしゃべりしたい。

1人でゆっくりマンガを読みたい。

 

明日何しようかな。また作戦会議しよう。

 

これら全てが僕らにとっての実現したい夢。

そして子どもが持つ期待や希望は地域の明るい未来に必ずつながると信じています。

その実現をごちゃまるクリニックとともにかなえていくためにも、どうかご支援・ご協力をお願いいたします。

 

小浦明生

 

非常災害時の支援、心のケアについて

災害時には大切な家族や友人の死、家屋や家財道具の喪失、職業への影響と経済的損失、住み慣れた故郷の風景が失われるなどさまざまな喪失体験があります。これらに対する大きく深い悲嘆には長期的なグリーフケアが必要とされます。

特に子どもの場合には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)との関連の報告が多くあります。また、避難所、仮設住宅での生活など慣れない生活を強いられることに不安や怒りが生じることもあります。

宇佐美ら1)の報告によれば、特に家屋被害、避難、離別体験をした子どもには強いトラウマ症状が認められることが示されています。子どもの場合は言葉で気持ちを表現することが難しいこともあり、大人のような典型的な症状とはならないこともあります。

このような被災地域では早期からメンタルケアの介入が必要であり、また長期的なケアを行うために、医療者(医師、看護師、心理士など)と教育機関、行政の連携は必須となります。

ごちゃまるクリニックは地域住民の支援、心のケアの重要基地 

わじまティーンラボは震災前より、小児科医、内科医が保健師とともに母子のサポートを行い、学校での児童・生徒相談を行ってきており、すでに連携体制が構築できていると言えます。また当該施設は地域の子どもたちの居場所という役割も持っています。

震災後の輪島市において、わじまティーンラボは子供たちのケアに重要な拠点となることでしょう。

参考文献

1)「子どもの心の対応マニュアル」(日本小児科学会、日本小児精神医学研究会、日本小児心身医学会) http://www.jpeds.or.jp/uploads/files/kodomonokokoronotaiou.pdf

2)「東日本大震災における子どもの心のケアに関する報告書」(H28年3月宮城県子ども総合センター発行)https://www.pref.miyagi.jp/documents/15133/356074_1.pdf

寄付金の使い道

  • 医療や地域支援を継続するための施設修繕や物品の購入
  • 被災した住民のメンタルケア目的に多世代を対象とした出張保健室の開催
  • 支援者として働く行政職やエッセンシャルワーカーへのピアカウンセリング
  • 支援者向けの災害下におけるケアの講習会  など
お知らせ
クラウドファンディングは2月10日から開始予定です!
応援メッセージ
富山大学総合診療科 名誉教授 山城清二

私が2004年3月に富山大学(旧富山医科薬科大学)に赴任した当時、小浦友行君と詩さんは医学生でした。小浦君は、将来は地元輪島に帰って地域医療に携わりたいという熱い思いを持ち、詩さんとともに学生の頃からプライマリ・ケアの勉強に励んでいた姿が昨日のことのように思い出されます。卒業後、小浦君は総合診療医、詩さんは小児科医になり、2021年6月に輪島で「こちゃまるクリニック」を開設し、2022年4月にNPO法人「じっくらあと」を立ち上げ、今回「ティーンズラボ」の開所することになりました。実は、2023年12月24日ティーンラボの開所日に、私は彼らと共にワークショップ(地域×いばしょ)を企画し、講演する予定でした。しかし、あいにくの大雪で延期されることに。

そんな折、1月1日の能登の大震災。まさか、能登でこれほどの震災が起こるとは夢にも思っていませんでした。そして、輪島の朝市周辺では火災も発生し甚大な被害に見舞われました。そんな中、小浦夫妻は自分達も被災したにもかかわらず地域住民を救うべく奮闘しています。高齢者や子供達のために気力と体力を振り絞ってギリギリのところで頑張っています。できることならば、私もすぐにでも駆け付け支援をしたいところですが、様々な規制に阻まれ思うに任せないのが現状です。ならば、今できることから始めたい。彼らの同級生が立ち上げたのがこの企画に私も賛同いたします。

小浦君と詩さん、そしてその仲間達を共に応援しようではありませんか!

富山大学産婦人科 教授 中島彰俊
七尾市出身の中島と申します。令和六年能登半島地震は能登の日常を壊滅的に破壊しました。私も七尾市以北には行けていませんが、いくつもの家の崩壊を目の当たりにし、そして輪島市・珠洲市などのニュース映像を観るにつけ、いち医療者として何もできない自分に歯がゆさを感じています。 小浦夫妻は以前より輪島市の医療だけでなく、地域の将来の種(わじまティーンラボ)のために活動しています。そして、震災当日から地域のために寝る間を惜しんで頑張っています。震災に負けない!若者という将来の種が育てば能登は必ず再興できる!私もこの募金から復興支援を始めます。皆さんも是非、能登復興のご支援をよろしくお願いいたします。
富山大学小児科 講師  種市尋宙

小浦先生ご夫妻の健闘を応援しています。

輪島が輪島に戻るためには、ふたりの存在が不可欠です。輪島のこどもたち、そしてそれを支える大人たちのためにごちゃまるクリニック、わじまティーンラボの支援が必要です。

災害支援は決して現場に行って活動することだけではありません。後方支援という重要な役割もあります。たとえわずかでも、一人ひとりの善意が大きな大きな災害支援になります。

みなさん、輪島復興のためにぜひアクションを!

被災されたすべての皆様に、未来の光が差すことを心から願っています。

女性クリニックWe!TOYAMA代表/富山県議会議員
公益社団法人富山県医師会理事
公益社団法人日本産婦人科医会常務理事
種部恭子

被災地では声を上げにくい子どもや女性への支援が置き去りになりやすく、平常時にあった地域の課題が色濃くあぶり出されてきます。

小浦詩先生は、北陸の地で私もともに長く活動してきた「人間と性」教育研究協議会石川サークルの代表に就任して下さり、子どもの居場所・わじまティーンラボの活動だけでなく、石川県全体の子どもたちの課題に向き合って下さっています。平常時の課題を知るからこそ、被災後の子どもや地域の課題の変化をいち早く感じ取り、出口を探してくださると思います。

地域が意気消沈しているときこそ、子どもは未来を感じる希望。

皆様からも募金で小浦先生に希望を託してくださるよう、よろしくお願いします。